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大学の時、外国語学部英語学科だったので、聖書を読んで理解することは科目の中に入っていました。
そのときは、聖書を古英語で読まなければならなかったので、
この授業はとても大変で好きにはなれませんでした。
古英語は今の英語とは単語自体が異なっていて、
そのままでは全くちんぷんかんぷんです。
古英語専門の辞書を使って解読しました。
最近、「Day By Day Kid’s Bible」(子どものための聖書)という本を手にしました。
その本には簡単な単語、簡単な表現で聖書の内容が書かれています。
私はクリスチャンではありませんが、今この聖書にはまっています。
その旧約聖書の中には、神がこの世界を造り7日目にに休息を取ったことや、
アダムとイブのことも書かれています。
その内容は、また別の機会に書こうと思います。
今回は、表題の通り、「なぜ、私たちが外国語に苦しまなければならないのか?!」について書きます。
ご存じの方もいらっしゃることとは思いますが、面白い内容だったので書いてみます。
かつて、人々は皆同じ言語を話していました。
人々がこう話をします。
「町を造り、空まで届く高い塔を作ろう」と。
その様子をGodが見ました。
Godはこう思います。
「これらの人々は同じ言語を話す。
だからこのような物を作るために一緒に計画をたてることができるのだ。
彼らの言葉を混乱させよう。
そうすれば、お互いに理解することはできなくなるだろう」と。
そしてGodは彼らに違う言語を与えたのです。
人々が作ろうとしていた人々は、言葉が理解できずに塔を建てることをやめてしまいます。
そして、地球上のあちこちに散らばっていったのです。
Godが人々に違う言葉を与えたその町をcity Babel(バベル)と呼びました。
バベルの塔のおかげで、私たちは未だに外国語に悩まされているのです。
この旧約聖書はとても読みやすいので、興味のある方は手に取ってみてください。
くれぐれも、難しい方の聖書ではなくて、簡単な英語で書いてあるものを選ぶことをオススメします。